2021/10/09 19:00
手に馴染みやすい、ちょっと直径の小さめな汁椀をご紹介します。
川連漆器の標準サイズのお椀は、三寸九分汁椀 ですが、
直径がそれよりも3mmほど小さい、「三寸八分腰高汁椀」をご紹介します。
![](https://base-ec2if.akamaized.net/c/f=jpg/images/user/blog/149d1edffdf793397bcb1bd842d8e449b6a453c0/blog/beb37b377ee342e89ac5d722087f52bb.jpg)
手に馴染む三寸八分という大きさ。
基本のお椀のサイズは、手の大きさに合わせて作られています。
両手の親指と人差し指で輪を作った時の直径が、およそ三寸八分(11.4cm)で、
すっぽりと両手のひらに収まり、持ち上げやすいサイズと言えるでしょう。
昔のお椀の標準サイズは、三寸八分でした。
時が経ち、食生活が豊かになり、体格も大きくなってきたためでしょうか。
もっと大きなお椀が欲しいという声が多くなり、
三寸九分(11.7cm)、四寸(12cm)と大きなサイズが求められるようになってきています。
「三寸八分腰高汁椀」は、具材が多いと容量が足りないという声もありますが、
普段のシンプルなお味噌汁でしたら、ちょうどいいサイズではないでしょうか。
人の手に合わせて作られていますから、手にしっくりと馴染みます。
また、名前に腰高とついている通り、高台が高くなっていて、
お椀の下に指が入りやすく、持ち上げやすいお椀です。
女性の手にも馴染み易い大きさですし、持ち上げやすく取り回し易いので、
使うほどに愛着がわいてくる、そんなお椀です。
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「黒内古代朱」「黒内朱」「朱」の3つの色をご用意。
色は、内が古代朱、外が黒の「黒内古代朱」、
内が朱、外が黒の「黒内朱」、
内外共に朱色の「朱」
の3種類ご用意があります。
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古代朱は、熱にも強い皮膜です。
古代朱とは、内側を「弁柄」という鉄骨のサビ止めなどにも使われる顔料と、
漆をまぜて塗っており、熱にも非常に強い被膜になっています。
漆塗りと言われて頭に浮かぶオーソドックスな朱色よりも、ちょっと暗い赤色です。
シックで落ち着いた色味です。
毎日繰り返し使うには最適な色のお椀ではないでしょうか。
やっぱり明るい朱色がいいという方は、
「黒内朱」「朱」もご用意ありますのでそちらをお選びください。
「三寸八分腰高汁椀」
https://shop.zenroku.jp/items/15246870
[ サイズ ] ø11.4 × h6.6cm
[ 色 ] 黒内古代朱/黒内朱/朱
[ 素 材 ] 天然木〈栃〉、天然漆
[ 製 造 ] 日本製(秋田県 川連漆器)
1872年(明治5年)創業、伝統的工芸品 川連漆器を製造する佐藤善六漆器店により作られました。
川連漆器の特徴の一つである、花塗り(はなぬり)という高度な技法で塗り上げられています。
花塗りとは、塗った後に研いだり磨いたりせず、漆の流れを予測し、刷毛で塗り上げ、そのまま乾燥させる技法で、優しく柔らかな風合いに仕上がります。
天然の木地に、天然の漆を使い、職人の手により一つ一つ丁寧に塗り上げられていて、使うほどに、色艶が出て、漆の味わいを楽しむことができます。
佐藤善六漆器店では、ほかにも様々な お椀を製造しています。お椀の選び方とおすすめの記事はこちら をご覧ください。
<川連漆器の歴史>
川連漆器の始まりは、今をさかのぼること約八百年前の鎌倉時代、源頼朝の家人で稲庭城主の小野寺重道の弟、道矩が、古四王野尻大舘(現在の秋田県湯沢市川連町大舘)に居住し、豊富な木材と漆を用い、家臣に内職として武具に漆を塗らせたのが始まりと言われております。
江戸時代初期、本格的に漆器産業が始まり、後期には藩の保護の元、椀・膳・重箱など幅広い生活用品がつくられ、沈金・蒔絵などの加飾が加わりました。
また、明治初期にはさらに新しい技術開発が行われ、今日の川連漆器の特色である堅牢な漆器が作られるようになりました。
昭和五十一年十二月に、国の伝統的工芸品の指定を受け、今では全国でも有数な産地として成長しております。