2021/10/02 19:00


この皿の形状を見て、地図で見たことがあると思った方も多いのでは無いでしょうか?


銀行の地図記号として使われている形で、分銅がモチーフになっています。






富の象徴として縁起の良い形 分銅。



江戸時代の銀貨は、両替商にて分銅を用いて質量を測り通用されていました。


幕府が、有事に備えて備蓄した金も、分銅型に鋳造されていました。


両替商の看板は分銅をモチーフにした物で、現在でも銀行の地図記号として使われています。


このように貨幣や金塊と深いつながりのある分銅は、富の象徴として縁起物とされています。


この分銅の形は、江戸時代初期に貴重品であった生糸の原材料、蚕の繭をかたどったものといわれているそうです。






そんな縁起物の分銅をモチーフにしたお皿が分銅皿です。


上品な溜塗で仕上げられていて、高級感があります。


溜塗とは、朱漆を塗った上に、半透明な漆を塗ることで、下の朱色が透けて見える塗りで、


皮膜の薄いエッジ部分は、赤が強く、平らな部分は黒っぽく仕上がる塗り技法です。


色の濃淡があり、深みのある仕上がりになっています。



[ サイズ ] 24.4 × 19.6 × h1.6cm

[  色  ] 溜

[ 素 材 ] 天然木・天然漆

[ 製 造 ] 日本製(秋田県 川連漆器)


分銅皿

https://shop.zenroku.jp/items/15297760



1872年(明治5年)創業、伝統的工芸品 川連漆器を製造する佐藤善六漆器店により作られました。


川連漆器の特徴の一つである、花塗り(はなぬり)という高度な技法で塗り上げられています。


花塗りとは、塗った後に研いだり磨いたりせず、漆の流れを予測し、刷毛で塗り上げ、そのまま乾燥させる技法で、優しく柔らかな風合いに仕上がります。


天然の木地に、天然の漆を使い、職人の手により一つ一つ丁寧に塗り上げられていて、使うほどに、色艶が出て、漆の味わいを楽しむことができます。




<川連漆器の歴史>


川連漆器の始まりは、今をさかのぼること約八百年前の鎌倉時代、源頼朝の家人で稲庭城主の小野寺重道の弟、道矩が、古四王野尻大舘(現在の秋田県湯沢市川連町大舘)に居住し、豊富な木材と漆を用い、家臣に内職として武具に漆を塗らせたのが始まりと言われております。


江戸時代初期、本格的に漆器産業が始まり、後期には藩の保護の元、椀・膳・重箱など幅広い生活用品がつくられ、沈金・蒔絵などの加飾が加わりました。


また、明治初期にはさらに新しい技術開発が行われ、今日の川連漆器の特色である堅牢な漆器が作られるようになりました。


昭和五十一年十二月に、国の伝統的工芸品の指定を受け、今では全国でも有数な産地として成長しております。